優雅に華麗に大胆に!(FGO攻略ブログ)

イシュタル召喚記念にブログ始めました。FGOについて書いていくつもりです。

ブログを書くちょっとした理由のはなし

 なんとなくブログを書く理由についてメモ書きをしておこうかな、なんて。

 僕は割とブログを書くのが好きだ。じゃなきゃ40000文字だとか35000文字だとか20000文字だとかお金も一切はいらず、かといって名誉としてもどこまで得られるかというものに労力を割いたりはしない。単純に好きで書いているというところがある程度あるのだけれどその一方で義務感というか使命感みたいなものがなくはなかったりする、それについて少々話をしよう。
 僕がブログを書く「好き」以外の1番の理由は「誰かの役に立って欲しいし、絶対にたつはず」という狂信のような確信である。これは単純に「好きなものを推薦したくなる感覚」あるいは「過去の自分が欲しかったものを自分が作っておこう」という開拓者精神のようなもので、わりと純粋な「気持ち」の部分である。僕が講座系のブログを書く際最も意識しているのは「このことを知らなかった過去の自分が一番知りたかったこと、欲しかった記事を書こう」ということで、そして同じように悩む人に届いて欲しいと思っている。実際届くは実のところはわからないが、「過去の自分が欲しかったもの」を意識することで文章が書きやすくなるし、一番役立つ形になりやすいかな、と信じている。
 それとは別に、少し歪んだ、変わった理由として、「記念碑を建てておきたい」という考えがある。それについて書いてみたい。
 これは言いかえると「自分の努力の成果を何ら頭の形で残しておきたい」という気持ちのことである。極端な話僕は自分が本気で明日死ぬかもしれないなあ、という漠然とした意識があったりする。何も江戸時代の侍というわけではないのだけれど、でも漠然として「諦め」のようなものがあって、終わりの意識が常に渦巻いている。あるいはそこまででなくても、明日突然スマブラをやめるだとか、明日突然家が焼けるだとか、そういう突然の終わりみたいなものはいつでも意識にある。そういう中で、明日当然やめてしまったときに「何も残らない」ような感覚というのがとにかく怖い。せっかく考えたのに傍から見たらただ遠回りしただけで終わりという状況が、あるいは未来の自分が見たら何もしていないと感じるような状況がとにかく怖いのだ。だから、そうならないためにせめてもの思いとして、なるべく記録を残している。何か記念碑を建ててそして次につながる選択を探しているという感じだろうか。
 言うなれば、なにも残さない状況というのは、セーブをせずにRPGを続けるようなそういう恐怖感なのだ。停電が来たら、コンセントが抜けたら、寝落ちしたら、バグったらそれですべて消える、そういう感覚の中だととにかく落ち着かないし、結局ゲーム自体にもにも集中できなくなる。だからブログを残すのだ。それはちょうど、ポケモンの「レポートを書く」感覚に近い。ノーセーブは2週目以降の縛りプレイですべきだろう。
 だからそういう意味でブログを書いている面がある。なんともみっともないのだが、そういうわけでブログを書き終えると一瞬すごい「ああ、安心した……」というんメンタルになる。ある意味すごく生の実感がある瞬間だ。
 でもまあ、こういうふうに常に記念碑を建てる意識っていうのはある程度合っていいのかなって思っている。何かが残るというのはとても良い。それが仮に無価値だったとしても残るのであれば次に繋がる。そういうことに無常の喜びを感じるのだ。
 だから僕は多くの人の創作や、記録というものがとても好きだ。極端な話みんなになにか書いてほしいと思っている。もちろんそれは面倒だしかんたんなことではないのだけれど、そうすることで得られる達成感に隠れた安心感のようなものはなんとも言えぬ良さがある。
 こうしてその気持をブログに書いているのも記録としての意図である。将来もっと安心感をもって生きられるようになったら「こんな馬鹿なこと思ってたなあ」なんて笑える日が来るかもしれない。それは嬉しい成長であろう。というわけでそんな雑記である。何のオチもない話だが、僕としては書けて嬉しいのでこのへんで1つ終わりにしよう。次のブログ、書けるといいなあ。

 以下ちょっと愚痴というか、ぼやきのようなものを。僕は色々何もかもなるべく論理的に考えて分解して解釈して、という操作をどんなものに取り組むときにも執拗に行うのだけれど、それをしてなおまじで弱い。本当に悲しくなるくらい弱くて、僕よりも直感的でなおかつうまい人が無限にいることを実感している。もちろん各々が色々と自己的な理論をしっかりと持ち合わせているのはわかるのだけれど、それにしてもなお、自分よりも直感的で自分の100倍うまいみたいな感覚がそこかしこにあって、それはとても悔しい。本当に。いちいち理論的な自己解釈をせずただ、純粋に上手くなれたらどんなに幸福かと思い続けている。
 ただ、結局自分にはこの方法しかないとも思っている。自分はどうやってもインスタントに上手くなれない。不器用でどうしようもない人間なのでそういうことを織り込み済みで、自分の最適解を探していくしかないのかな、と。これは難しい問題だけど、結局自分が最強になれれば、「自分のこのスタイルが実は最適解だったぞ!」なんてドヤ顔できる日が来るかもしれない。そんな日を夢見ながら今日も試行錯誤を繰り返すのである。この人生は夢だらけ、だ。