優雅に華麗に大胆に!(FGO攻略ブログ)

イシュタル召喚記念にブログ始めました。FGOについて書いていくつもりです。

俺ガイル10巻まで読んだ感想と考察

 この記事は前回の5巻までの記事の続きになる。まずはそちらから読んでほしいということも特になく、まあ感想なので適当に読んでみて欲しい。
 というわけで第2回、俺ガイルの感想について! いやはやあれから結構な時間が経ってしまった。今回は6~10.5巻まで、7冊。6.5巻はタイミングの都合で読んでないもののなかなかの量だった。
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 当初の目標では4/19の俺ガイル最終巻発売までに既刊を全て読み終えるというつもりだったのだが、当然のように全く間に合わなかった。いや、普通に考えて無理に決まっている話だった。なぜ読めると思ったのか、不思議を通り越してミステリーである。なめている。でもまあそういう甘い見積もりってあるよね!! まあ見積もりが外れたからって別に実害は無いもん、なんて思って気楽に構えていたら、そんな僕のお花畑構想を察するかのように、俺ガイル最終巻の発売は延期になった。どうやら僕に間に合うチャンスを与えてきたらしい。もしや僕はハルヒだったのか……。「最終巻発売までに読み終えたい」という願望を歪めた形で叶える聖杯みたいなラノベだったので、頑張って読み進めていきたいと思った。続刊を待っても待っても出ないという人は僕が読み終えたら出ると思うので僕を催促するのがおすすめですね。

 と、しょうもない話はおいておいて、本編に移るとしましょう。改めて、俺ガイル、正式名称「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」について書いていこう。本作は、捻くれた主人公がキャワイイけどストレートではないヒロインたちと織りなす青春ラブコメだ。この作品の着想の話や、作品らしさ、みたいなものの考察は前回の記事で書いたので省略するが、まあ、よくある長文タイトルのよくある作品、と思いきや少しずらした、皮肉大好きひねくれ者の高2病患者にも優しい、ある世代にクリティカルに刺さるような作品という感じだ。
 リアルの鬱憤! リア充の非合理性! 社会の愚かさを鼻で笑いつつも鼻で笑うくらいには性格が曲がってしまっているせいでいまいち友達ができず、なんとも冴えない日々を過ごすはめになっているややクレバーめな中高生あたりが、そのクレバー*1さとある種の素直さ、真摯さに気づき、ときに共感してくれるヒロインに出会い、やがてコイニハッテンシテ、そういう方向性の作品である。この空気感、全体の調べ、主人公に呆れつつ、でも共感しつつ、という楽しみがこの作品の1つの、そして非常に大きな魅力とも言えるだろう。
 が、が、が、実際に重要なのは言うまでもなく空気でなくその空気の中でどういう物語が紡がれていくかにほかならない。自分は前回5巻まで読了した際には、この文学性の不足、主人公の成長譚としての稀薄さや起承転結の弱さを1つの弱点として感じた。5巻までの間、主人公は自身のクレバーな皮肉屋としての信念を信じ、それで全てが「解消」*2できるというある種の自惚れを以て多くの問題に臨み、実際それで問題を解決してきた。メタ的に言うならば、実際この皮肉屋解決法が功を奏することはリアルでは少なく、だからこそ空想であり物語の中でそれが成功し、さらには美少女との距離が縮まる、というのはまさしく主人公にこそ自己投影したいラノベにとってはモデル的な展開であって、このままそれなりに共感できて感心できる主人公のクレバーな「解消」物語として、雰囲気を楽しむ読者とまったりやっていくというのも良いだろうと言えた。女の子が可愛いので、まあそれでも十分やっていけたように思う。
 が、が、が、流石は渡航なのかガガガ文庫なのか、そうはしなかった。やつは弾けた。7巻からの展開は主人公の挫折、成長、葛藤などを主点とした物語に一気に方向性が変わっていく。文学性が奥に進むほど強くなり、ラノベという消費娯楽として扱われがちなところにある種の「文学性」が意識されるようになる。作者の成長なのか、編集の力なのか、詳しくはわからないがこれは目を見張るものに感じられた。そう来なくっちゃなあ!!! 小学館の編集というと「天下の三大出版!」「高給取り!」とかいう話ではなくて、なんとなく雷句誠橋口たかしの発言からそこまで良い印象が合ったわけではないのだが、ガガガ文庫の編集に関しては結構面白いというか評価できると感じる部分も多い。個人的にはガガガで一番好きなのは「キミとは致命的なズレがある」という作品なんだけど、これも含めてなんというか全体的に挑戦的な作品が多く、割とこれからに期待したい気持ちがある。いやはや楽しみですね。
 閑話休題。話がそれてしまったが、とにかく7巻以降の展開は、主人公の挫折や成長、葛藤にある程度焦点が向けられ、話としての深みが一気に高まる。感想が「楽しい」から「面白い」に変わったとも言うべきだろうか。
 6巻の内容は皮肉屋解決法で身を削りつつもヒロインや教師にはわかってもらえる、というくらいなのだが、7巻に来てついにその手法が許容されなくなる。主人公に「君はクレバーだけど根本的に愚かだ」と明確なテーマが突きつけられることになり、主人公の愚直さ、愚かさにヒロインが明確に耐えきれなくなり決裂するのだ。ここから主人公は自身の信念、「自分はこれ以上落ちるあてのない最底辺だから自分の評価を犠牲にしつつ、人間の自惚れや醜さを躊躇せずあぶり出して効率的に強制終了するのが良い」に対して「問題の根本的解決をしようとしない怠惰、自身のことを大事にしないという自己犠牲に見せかけた思考放棄」が問題提起される。本編の言葉で言えば「理性の化物、自意識の化物」。主人公の態度は明確に「病」として診断されるのだ。
 今までラノベ式鈍い系主人公ながらもハーレムを楽しんでいた主人公は、その行動が許容されないことに葛藤する。「ちょっと待てよ! なんやかんやハーレム物語だったじゃん話違うよ!」。いや、誰もそんなこと言わないけれど、主人公に自己投影しながら読んでいるとそんなふうに思うのではないかと思う。僕は少し思った。まあ流石に7巻の結末は自分的にはちょっとびっくりしたが、それでもまあ全体としての驚きは大きかった。なんにせよ一種の転調とでも言うべき方向転換。ある意味高2病読者にも成長を促しているとも言えるのだろうか。まあ、普通の高2病患者の周りに美少女はいないし、世話焼きの妹もいないけど。
 いずれにせよ、そこで目下の問題としてのヒロインとの関係の回復、根本的問題としての主人公の成長に焦点が当てられることになるのが8巻からの物語になる。
 8巻では生徒会活動支援の依頼が飛び込む。生徒会選挙に出るけど生徒会なんてやりたくない、いたずらで勝手に投票された、という内容だ。「依頼」という形式がややご都合主義なのはこの際目をつぶろう。そこは本質ではない。依頼に対して今まではヒロインたちと協力して取り組んできたが、ここでヒロイン陣営と主人公単独の2つに、さらに言えばヒロイン同士もお互いに別れていく。主人公は今だ自分の考えに固執して「高2病思考こそ至高! わからないお前らは所詮頭リア充」と考え自分の考えを貫こうとする。メインヒロインゆきのんこと雪ノ下雪乃さんは「私の合理的思考こそ最強。スパッと合理的に解決してみせよう」と画策、メインヒロインの2人目、ガハマさんこと由比ヶ浜結衣さんは「よくわからんけどなんかうちのチーム分裂してるやん。仲良くなってほしいな」と画策する。三者三様。誰が正しいわけでもない。言うなれば誰もが未熟で、幼稚で、でも真剣。だからこそそこに物語が生まれる。
 結論は主人公の高2病式、搦め手作戦が功を奏し、そして生徒会選挙問題は「解消」する。しかし生徒会問題は「解消」するが、結局彼ら彼女らの関係は「解決」しなかった。本当にすべきことはそれではなかったのだ。おそらく本当の「解決」は実は「3人で生徒会になってそこで楽しく活動すること」だった。だがそんな考えには最初から至れるはずもなかった。主人公はまだ自分の考えに意固地で、だからこそ自分なりに頑張って、そして空回りする。結果自分はあるはずだった「解決」を、稚拙な「解消」によって放棄してしまうのだ。呆然とした、不思議な感触だけが残る。まっさらな部室、まっさらな空間。
 9巻では、さらに終わってしまった関係の「解決」が焦点になる。話の筋はこの際語らないが、この9巻が1番読み応えがあった。主人公の葛藤、教師の助言、何より高2病との向き合い方と「本物が欲しい」という主人公の本音。そして、主人公の本音から動かされていくヒロインたち。ドラマ的で、文学的で、少し情緒的。特にジェットコースターのゆきのんのシーンはぐっと来た。シーンとしての魅力はそうそうとして得られないのでそういう意味でも非常に読み応えのある良い話だったと思う。何ならここで完結してもいい、それくらい良かった。
 10巻は明確に文学性を意識した方向に転換する。太宰治の「人間失格」の叙述的引用から始まり、サブキャラだった三浦由美子や戸塚彩加のキャラとしての魅力にフォーカスし、それぞれシーンを切り取る。そして彼が言った「本物」とは何か、そんな物があるのかという問いかけを意識して話を終える。特に、今までマスコットのように見られていた戸塚に明確な人物像を感じ再評価するシーンは結構良かったと感じた。全体として文学性を高め、それぞれの心情を描き、ラストに持っていくための高まりを増している。
 ここまで話を上ってこさせたのは素直な喜びを感じた。今後はゆきのんの合理主義思想の緩和と陽乃さんはじめとした家族問題、葉山隼人への探り、そして主人公のさらなる成長と本物への意識などをテーマにヒロインとの関係の完結を意識した流れにしていくのだろうか。さて、楽しみなところだ。

 以上だろうか。7.5巻と10.5巻は純ラノベ的ヒロインに萌えるタイプの話で、これはこれで良いのだがまあ語らなくてもよかろうか。もともと「いろはすかわいい」と言っていた塾の生徒の話から読み始めたのに、そこをスルーしてしまうのか、という感じもするが、まあ本作の文学性の意識に趣を感じているところなので、少し話題が逸れるのが惜しいと感じる。

 問題点、課題と感じた点は無いわけではないが、このような方向性の転換は面白いと思ったし、基本的に読書「感」、読了「感」が良ければそういうものを特に気にしないのが僕の読書への主義なのでこの雰囲気ならこれからに期待、という感じで話を閉じておこう。
 強いて気になるのは全体を通して主人公の葉山隼人に対する態度がきつすぎるのが気に食わないというところか。流石にあそこまで敵意を表した態度だと、高2病的自意識ですら無い、単に性格が悪いだけに見えてしまって少し違和感があった。「人気者は嫌い」という自意識が高2病にあるとしても、あそこまで露骨に嫌な返事をするのは変だし、主人公の成長という意味でも少し惜しいところはある。まあマラソンのシーンでの態度についてはそういうシーンだからいいのだが、序盤から9巻まで、あらゆるところでの当たりの強さは、個人的にはずっと違和感が残り続けたところではあった。僕は葉山くんのキャラが結構好きで、自分はあんなリア充ではなかったが、それでもいろいろと思うところ共感するところもあったりして、なんというか葉山くんに感情移入しつつ違和感を拭えないと感じた。そこは惜しいかなあ。
 あと、ゆきのんが文系行くってどういうことですか!!!!! 理系大好きマンとして合理性信奉者のゆきのんが理系に行かないなんて許せない! 一緒に数学しよ物理しよ化学しようよ!!! データサイエンスも楽しいし建築なんかもいいよね! ね! ああ、惜しい人材を逃してしまった……。

 そういうところだろうか。これからの展開に期待とうことでこの感想をとじることにしましょう。

*1:"clever"という英単語のニュアンスで使ってます。気づいてね。

*2:「解決」ではないところが肝